にこ便りvol.15.

 

遠賀川物語のこと―高島忠平先生の講演会を終えて。

 

新緑の美しい絶好の散歩日和に私達は、北九州八幡の1901溶鉱炉周辺の公園を散策しました。その日は、佐賀県の吉野ケ里遺跡を発掘調査されたミスター吉野ケ里こと、高島忠平先生の講演会でありました。

30数年前には製鉄発祥の地を史跡として永久保存するという石碑がありましたが今はなく、様相を変えた新しい公園として整備されていました。

町の様相が変わっても、人々の人情や気質は残ってゆくもので、高くそびえ立つ1901のシルエットをみると、「確かにこの場所だったわねえ」と感慨深いものがあります。変化しながら残ってゆくものの形は、人それぞれの心の中にあるものです。心象風景の様に確かに宿っています。

 

その後、彼是20年くらい前になりますが私達は筑豊の石炭産業、近代化の検証等と宣いアート活動と、初代田川市長が建てた家を維持管理運営するために田川市へと移籍しました。国の登録有形文化財にまで申請し残しながら文化を継承する仕事に奔走しましたが、結局、建物はやはり当時の体をなさず構造だけを残すという術に至りました。

ここでもやはり、「建物」は残らず、時代の変遷に飲み込まれてしまった気がしています。文化庁の文言「建物を残して、文化を残す」という提言に反しています。残し方の問題ですが、これは町の持つ潜在力と文化意識の水準に当てはまるわけです。(文化度ではなく、町が本来的に必要としていたか?)

 

現在は、嘉麻市の日本山岳遺産、嘉穂アルプスを背景に森の中の古いペンションでの生活を営んでおります。北九州から嘉麻市への移動は遠賀川の水系に即し、偉大なる浪漫の河に心を寄せている次第です。

今回、4月22日に北九州で開催されました高島忠平先生の講演会は、松本清張さんのお話と遠賀川流域の古代史、製鉄文化を語られました。

私達に身近な遠賀川が、北部九州の古代遺跡群を抱えた大いなる浪漫の河だという文明論に至りました。筑豊を中心に北部九州の懐の深さ、歴史の深さを感じています。考古学の研究は専門の学会の話ではありますが、清張さんが真剣に学問された考古学への野望は、九州人の気質に何か通じる逞しい九州らしさの根源に近いものがあり、九州の再発見に九州人が気付く事に期待しています。

世知辛い現代社会に素人も古代史に浪漫を感じとれるような?余裕がほしいものです。遠賀川に思いを寄せながら・・・・。平成30年穀雨の頃